グローバル・ウイズダム

 グローバルという言葉にアメリカを連想すると言われることがよくあります。

1990年代以降コンピューターが急速に進化し大衆化すると同時に、アメリカのオフイスではペーパー・レスとグローバルという言葉が好んで使われ始めたように記憶しています。コンピューターの特徴である個々人の文字の記憶と蓄積、瞬時に世界中と情報交換や情報の共有ができる力に威力を感じ、世界が急に小さくなったように感じてグローバルという言葉がよく使われ始めたのだと思います。

 私がこの言葉を好んでいるのは、当時アメリカに本部があり世界80数カ国が同じ内容の教育プログラムをその国の言語で展開する宗教や政治を超えて大きな地球家族のようなビジネス環境の中にいましたが、連絡と言えばFAXや電話で時間調整が大変でした。ところがコンピューターの導入は、瞬時に世界中と同時に繋がりました。

 本部が提案して来る新しいカリキュラも世界中が同時に受け取り、内容の確認や提案が出来ることで、プログラムへの共有の意識が高まり時間の効率も上がって感動したものです。それまでは年一回、国際会議でお目にかかる地球の裏側の友人たちとも親しく連日でも意見交換が出来るようになったのです。

 そんな中で、世界が球形であることを強く認識させられました。

ですから、わたくしのグローバルはアメリカに限定された地域を指すのではなくて、地球全体と捉えています。地球上のどこに立っても、そこから全体を見て考える。

そしてグローバルな人間とは自分の出身国にバランスの取れたプライドと見識を持ち、他国の文化や社会を尊重して理解を示すことができる人たちだと思っています。そういう人たちの溢れんばかりの知識や知恵を相互に共有するという願望からウイズダム〈知恵・分別〉とを組み合わせて、グローバル・ウイズダムとしました。

 

 争いや拒否は相手を充分に理解しようとせずに、自分の作り上げた価値観や思い込みで相手を評価したり、誹謗や排除は一方的な誤解から生まれていることが多く残念に思います。とりわけ強者の一方的な振る舞いが、弱者を窮地に追い込み極端な行動に走らせているのが中東地域などで起こっている暴走の現状です。

 これまで生きて来た経験をふまえて、傲慢にならずに、自分の出来ることで社会のお役に立ちたいと考えて生まれた『グローバル・ウイズダム・コンサルティング®』今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。