心に響く声

 8月15日(土)午後2時から東京大学工学部2号館93B教室での集い 哲学熟議9+哲学遊戯3「70回目の8.15」「終戦」で終わったもの、始まったもの に出席して、この国の未来に”希望の光を見た” 充実したひと時を過ごさせていただいた。

 主催者の伊東 乾氏のコラムをここ数年インターネットのビジネス・プレスで愛読。氏は東大理学部物理学科卒業で作曲家=指揮者であり、現在東大・大学院情報学環助教授の取り上げるテーマは、毎回時に叶った問題意識と広い視野。深い洞察力とバランス感覚に感心し、人物像に興味を抱いてきたが、今回初めて実際にお目にかかり、そこに集う協力者たちもまた科学的数学的思考と獣医、住職、音楽家、作家としてそれぞれ鍛え抜いた方たちで「類は類を呼ぶ」現象を引き起こすのだと感心した。

 パネリストのお一人、I 氏は元海軍少尉でご自身の部隊100人全員とシベリアに抑留され、現地では斧とノコギリだけが与えられて、その他釘一本の道具もない中で、

”みなのまとまり”を心がけて木を切り、相互の工夫で極寒を凌ぐ建物やペチカを作り、途中一人だけ木の下敷きになったお仲間を失ったが、3年後には100人全員で帰国したご経験談は、極限の過酷な条件の中で本業の獣医のお立場が自然に対する動物的勘として生かされたようで、リーダーとしての状況判断に役立ったかもしれないと謙遜にポジティブに語っておられる様子は清々しさを感じた。91歳の現在も“科学を脱却した究極は神秘な生命”と言葉を結ぶロマンに感動した。

 もうお一人H 氏は幼少の満州引揚生還者。現在は浅草本龍寺住職・親鸞仏教センター所長で当時5.6歳で、無蓋車で母親や1700人の開拓者と共に終戦の2年前に日本に向かったが、帰国できたのはそのうちの900人で、多くは2年数ヶ月の過酷な移動・収容所生活の中で命を落としたという。満州で10年間共に苦労して開拓した”人間関係ができていた”人たちだったので、極限の悲惨な状況下でも醜い争いは起きなかったと幼いご自分が見聞した記憶に残ることのみを淡々とお話しくださった。どのような質問にも、事実と数字だけで憶測は一切省いた誠実さを貫いておられた。

 お二人に共通していたのは、感情的になることなく、他者の話を挿入することもなく、ご自身を客観的に語ることができるスキルをお持ちで、だからこの方たちの語る未来には説得力があり、希望の光と勇気をいただいた。  

 追悼演奏のバッハの「無伴奏チェロ組曲」独奏にも感動で、心が洗われた。