一つの取り組

 時間をかけて取り組んできたことが、なかなか前に進まないとき、かつて聞いたことのあるすばらし発見のシーンや一つのプロジェクトが成功した経験談などを思い出しながら、自らを勇気づけることが多々ある。周囲にクリエイティブな方がいたお陰である。だれも気づかなかったこと、できなかったことに挑戦して、自らが思い描いた内容を形にできる人は本当に素晴らしいといつも感動する。


 それまで、全く関心のなかったことが、ちょっとしたきっかけで、「なぜだろう」と興味に変わり、答えを得ようとしてもなかなか前に進まない。理解がそのレベルに及ばなくて右往左往してきたが、最近ふとしたきっかけで、これまでよく理解できなかったことが腑に落ちた経験をした。なぜこのような発想になるのかが解らなかった。これまで繋がらなかった文章が、突然「あれ?これって!」と視界が晴れたような感覚を持った。

 きっかけを探ったら、ごく最近、関心のあることの原点から最新の情報までの間にあった、無数の古くなった情報も含めて丁寧に数回読み返したことが、理解の穴を埋めるのに役立ったらしい。一見無駄で時間の浪費をしているような罪の意識で取り組んだことだった。

これまで死語だと思っていた言葉に大きな意味が隠されていた。不思議というより感動した。結構長く取り組んできた過程の中で無駄だと思っていたことや、無縁だと思っていたことに何一つそれは無かったと嬉しくなった。

 効率優先が時代の先をゆくビジネスには不可欠という意識がまだ残っていて、無駄を極力避けようとして来たことが、遠回りをする結果を生んでいた。

なかなか前に進まなかったプロジェクトが、ようやく動き始めた予感は嬉しい。