違和感を感じる

 最近の話題の一つに、理研のSTAP細胞の論文問題で謝罪会見をした小保方晴子氏に集中しているが、私自身はこれを取り上げるマスコミと小保方氏の双方に強い違和感を感じている。共通しているのは幼児性である。

 小保方氏について言えば、会見の内容は、科学者としての誇りと一貫性に欠け、肝心のところで曖昧な答弁をして逃げている。謝罪会見をしている先から、不正に関しては反論するが、そのとき学者であるはずの彼女は、基本中の基本であるはずの証拠となる裏づけを全く示さない。例えば、2冊以上の研究ノートが存在するのであれば、なぜ持参して「これです」と名誉挽回しようとしないのか、例話としては相応しくないかも知れないが、これではまるで芸能人の言い訳会見ではないかと呆れてしまった。仕事に対する熱意と誇りの欠如と受け止めた。

 一方これを取り上げるマスコミにも疑問を感じる。『ネイチャー』という英国の科学誌に論文を提出した小保方氏に対して、有能な研究者、科学者として向き合うのではなくて、外観や感情面まで取りあげて詳細に伝えている。マスコミ担当者は、彼女の会見の意味を深く考え、そこで彼女から引き出したい回答にのみ焦点を当てるべきではないのか、大手新聞の筆者よ、涙や笑いの紹介は科学の論文に関する疑惑には必要ない。読者に先入観やバイヤスを与えて、問題の本質を曖昧にしてしまうことを恐れて欲しい。