嬉しい贈り物

一昨日、ポストを覗いたらドッシリと重い書籍の印のあるゆうメールが届いていた。ある予感がして、ワクワク、ドキドキしながら丁寧に封書を開いた。

 

50数年まえ、まだ新入生だった私たちは、先輩たちに促されて将来の夢を一人一人述べた。当時このグループのおかれていた環境から、アメリカやヨーロッパに留学する計画が多い中、3年先輩の高殿さんは「インドネシアに留学して、最終目標は辞典を創ることです。」と話すのを聞いて驚いた。インドネシア留学、そしてインドネシア語辞典、当時の私たちにはこの発想に何の脈絡も思い浮かばなくてとても印象的だった。

 

その後、仲間はそれぞれの夢を実現するために国外に飛び出した。

そして2、3年で帰国した人もいれば、それ以来留学先に定住し家庭を持った友もいる。高殿さんはインドネシアに行って20年ほど大学でインドネシア語に打ち込み、この間、ある時は仕事で訪問した夫や義弟が通訳などでお世話になり、ある日はスパイスの本を出版したとお送りいただいて驚かされた。

 

やがて日本の大学に迎えられて教鞭を取って20年あまり、ある日「悠紀子さん、またインドネシアに戻りました。遊びにきてください、家内と待ってます。」と手紙をもらい日本とインドネシアの文化交流やビジネスのサポートをしていることを知った。

 

50年間、地球上の様々な変化の中で、一貫してインドネシアと向き合い、祖国との相互理解を深めるために、これまでの生涯の大部分を捧げてきた友。

ご著書に添えられた文面「ところで、先ごろ小学館の企画で、中心メンバーの編集委員としてきた辞典『プログレッシブ インドネシア辞典』として出版されました。40人の研究者仲間と5年がかりで完成した労作です。

とはいえ、何の関係もない山本さんにとっては無用の長物でしょうけれど、かつての仲間の一人が手掛けてきたことの一端を知っていただきたくて、敢えて送らせていただきます。書棚の片隅にでも置いていただければ幸いです。 平成30年5月5日」

 

青春の入り口で思い描いた純粋な夢を、そのまま形にして”子供の日”にお送りくださった”使う人の身になって編纂されたと思われる辞典”、あったかくて、重くて、胸が熱くなり、長い友情に感謝した。