お別れの会

 昨日、長年家族ぐるみのご親交をいただいてきた尊敬する偉大な音楽家・冨田勲先生のお別れの会が青山葬儀場で営まれた。

 

 1975年アメリカのRCAから先生のシンセサイザーのアルバムを発売したご縁から親交が始まり、以降たくさんの貴い思い出を共有させていただいた40年間であった。

 指揮者小沢征爾氏の初期の作品「ノーベンバーステップ」がRCAのレッドレーベルから出たときも、ニューヨークの友人たちから「日本から素晴らしい指揮者のご誕生おめでとう!」と祝福を受けたが、当時小澤氏は主に海外でご活躍であった。

 冨田先生は一貫して日本で制作活動を続けられ、クラシック音楽をシンセサイザーという20世紀後半のテクノロジーを駆使して、先生の宇宙観や感性を通し、全く新しい純粋で透明感に溢れた立体的で奥行きのある360度の方向どこへでも音が自由に移動して出る仕組みを創り上げた。

 クラシックの名曲「月の光」が「展覧会の絵」が「惑星」が先生の手によって、壮大な宇宙の中に居るような未来を感じさせてくれる曲に変身した。新しい曲が出来上がり、拝聴するたびに、新鮮な驚きの感動で震えた。

音楽ってこんなに自由で面白いものなのだと先生の作品を通して教えていただいた。

 誰も考えなかった、なし得なかった独自の全く新しい世界を、たったお一人で切り拓かれた先生のお取り組を身直で知っていたので、我が家ではいつのまにか、深い尊敬をこめて「富田先生」とお呼びするようになった。

 海外から著名なアーティストやミュージシャンが来日すると「ミスター・トミタにお会いしたい」というリクエストが多かった。先生の集中力が途切れないように気を使いながら恐る恐るお尋ねすると、いつも気持ちよく先生のスタジオに迎え入れてくださり、来日中の天下の大物アーティストたちも感動して先生の制作風景に視入っていた。

 先生は日本酒がお好きで、我が家でのホームパーティーにも先生こだわりのお酒は度々花を添えてくださった。クインシーJ が来たとき、先生はハーレーでわざわざ北陸まで貴重な幻のお酒を取りに行ってくださり、クインシーJ を大感動させていた。

 先生はどんなときでも誠実で、真摯にご自分の信じる道を突き進まれた。その結果世界中からファンのコメントがネットで交換され、集まってくるが勢いが衰えない。日本が世界に誇る真にグローバルな音楽家の証明だと受け止めている。

 

 いま頃は、先に宇宙に旅立った夫と21年ぶりの再会に大いに盛り上がっていることと想像する。冨田夫人とわたくしは「地上組も宇宙組に負けない元気で頑張りましょうね」と励ましあった。