Legend of Toshiko Akiyoshi

【秋吉敏子のレジェンド】

 昨夜、NHK BSで感動的なドキュメンタリー映画を鑑賞した。

 

 今年86歳でニューヨーク在住の現役ジャズピアニスト、秋吉敏子さんの現在のご活躍のご様子と来し方を紹介する内容で、この番組を見ることが出来た幸いに感謝し、いまだに感動している。

 何よりもワクワクしたのは、秋吉さんの年齢を超越した若々しさと、プロとしてのレベルを維持するための一日も欠かさない連日2時間の練習〔自己との戦いの姿〕。仕事における妥協を許さない厳しさと、周囲の助言に対する素直で真摯な取り組。

そのお姿とお声を画面を通して目の当たりにした時、この数ヶ月自信をなくして消極的かつ後ろ向きだった自分が恥ずかしくなった。若さや健康を充分に与えられているにもかかわらず、心の調整を怠り、弱さが出ていた。秋吉さんの年齢とご活躍を考えたら「まだまだたっぷり機会は与えられている」と確信するポジティブな希望で心が満たされた。

 

 秋吉さんは7歳でピアノを始めて、1956年にはボストンのバークリー音楽院に入学。在学中からその才能には高い評価が与えられ、着物姿でジャズピアノを演奏して話題にもなったようです。やがてアメリカで結婚しお譲様一人が授かりましたが夫婦は離婚、シングルマザーで頑張っても異国での生活には限界があり、泣く泣く幼子を実家のある大分に預けて一人孤軍奮闘した時代もあったようです。

 アメリカ在住60年、未だ市民権は取らずにニューヨークで日本人として生き、アメリカは仕事場だと言い切る。ただし再婚したルー・タバキン氏とは出会って50年、ご一緒にビックバンドを結成し、日本人のルーツを掘り下げる『孤軍』『MINAMATA』などの大作を書き、演奏してグラミー賞には16回ノミネートされている。

 コンサートで必ず演奏するという『Long Yellow Road』の冒頭は、私には日本の童謡『七つの子』のーからすなぜ啼くの・・・ーとメロディーが重なって聞こえ、彼女の母国に対する郷愁の念を感じるのである。

 

 2000年には筋肉の萎縮で指が動かなくなり、手術を受けたという。その後の壮絶なリハビリとの戦いの結果、今では何ごともなかったかのように、鍵盤を指が踊っている。躍動感に溢れた音色。「人生で成功することは出来ないかもしれないけれど、でもチャンスはあるので死ぬまで前進したいな〜」と笑顔で語る何と謙虚なお言葉。

あなたは既に偉大な成功者であり、多くの人々に夢と希望を与えておられます。また

ジャズマスターとして、日本人で唯一人ジャズの殿堂入りを果たしておられます。