50年を振りかえる

デール・カーネギーの日本代表として、私が国内の運営に携わった12年間を振りかえる原稿は、すぐに書き上がるつもりが結構時間がかかった。理由は、今回改めてデールとのご縁を振りかえって、何と日本で初めて導入された1963年から今日まで、50年間もの永きにわたるさまざまな形での、不思議としか言いようのないご縁を頂戴していたことだった。望んでこのような状況を維持して来たわけではなかった。ビジネスに直接関わっていた訳でもない。が気がついたらずーっとご縁は続いていた。長い分だけ、たくさんの思い出が残されている。感謝だ。

東京オリンピックを翌年に控えて、日本中が一丸となって戦後の復興を世界にアピールしようと、新幹線や高速道路などのインフラの整備や、文化面では英語の学習や海外勤務、留学が盛んになり始めた時で、英語で学ぶ米国の社会人教育は未来志向型のエリートたちの意識を刺激した。私がデールを知ったのは、当時通っていた教会で米国の企業に勤める先輩が、英語好きの女子学生を相手にコースの内容を自慢げに話してくれたのがきっかけだった。やがてデールが大好きな先輩の伴侶となり、まるで日本の経済成長にあわせるかのように、仕事で忙しく海外を飛び廻っていた伴侶の傍らでウロウロしていたが、デールとのご縁は続いていた。節目節目の大きな集いに夫と共にお招きをいただき、関係者やTOPとお会いして親交を保って来た。当時を思い出すと本当に不思議な気がしてならない。

運命論者ではないけれど、人の一生の歩みは既に決められているような気がする。大きな流れを歩む過程で、さまざまなことが起こって、右往左往するけれど、実は与えられたミッションを全うするための人生を歩んでいるのではないのかと思う。