なぜ、ぼくはここにいるのか

答えを出して、それに少しためらいが残ったとき、あなたならどうしますか?

わたくしは、このところいくつかの偶然が重なって、改めて手に取った40年近く前の横尾忠則さんのご著書『なぜ、ぼくはここにいるのか』を読んでいます。

きっかけは、お盆に九州での車の移動中、福岡在住の優秀なアートディレクターが突然「横尾忠則さんのファンなんです」と仰って、その場はそれきりだったが、東京に戻ってこの言葉を思い出し、横尾さんから頂戴していた展覧会の案内をお送りした。彼女からの返信は「絵画も好きですが、実は本の大ファンです。文体と内容にグイグイ引き込まれて影響を受けました。」とこれまで読んで感動した著書の感想を熱く書いてくださった。説得力があり、思わず自宅の書庫から横尾さんのご著書を探した。『なぜ、ぼくはここにいるのか』は、ちょうど横尾さんご一家とのお付き合いが始まった頃で、「自己紹介をかねて・・・」と横尾さんご自身から頂戴した最初の一冊。我が家のダイニングキッチンで両家族の子どもたちも交えた8人が、私と横尾夫人の合作料理を、ワイワイガヤガヤ食べたあの頃を思い出す。

今回40年ぶりで手に取って、横尾さんの精神性の高さや深い考察力、素直で透明感のある視点と表現力の巧みさに驚いた。考えてみれば、普段の会話そのものを、文章にしておられる。断定するのではなくて、緩さを残すことが出来る大らかさとマチュアー。早くから宇宙創造神の存在を知っておられたが故の宇宙観と生死観「地球上に絶対など存在しないのだから、ためらいも捨てましょう」と言われている気がした。